皇宮護衛官として皇宮警察学校副校長、赤坂護衛署署長などを
歴任された故・亀井孝之氏。昭和51年11月に国民文化研究会の東京地区浦富合宿で講話をされた。
その記録から(『国民同胞』令和2年11月号)。「最近聞いた話で、陛下(昭和天皇―引用者)のお人柄が
よく現れてゐると思ふ話があります。
昭和40年頃に、陛下がある会社に行幸(ぎょうこう)された時のことです。会社では、事前にきれいに掃除したのですが、その朝になって、
陛下がお乗りになる予定のエレベーターにペンキで天皇反対といふ
落書きがされてあるのが発見されて、大急ぎで塗り替へが
行はれたさうです。陛下がお着きになって、職場をご視察になった際、
ある社員に大事な仕事だからしっかりやってくださいと
お声をかけられたところ、その社員は泣き出したといふのです。
後で、同僚が尋ねたところ、実は落書きしたのは自分だ、
お声をかけられた時何故だか分らぬが泣き出してしまった、
と言って、その日限りでその社員は、(反天皇を唱える―引用者)
労組を脱退してしまったさうです。この話を聞きますとわづか一言、二言、お声をかけられる中に、
その人柄がにじみでる、陛下はさういうご人格の方だと感じます。
また、誰もその社員が落書きしたといふことを知らないのに、
陛下は偶々(たまたま)お声をかけられたわけです。古い言葉では御稜威(みいつ)と言ひますが、
私は天皇のご威徳(いとく)といふもので、
自然にさうなったのではないかと感じます」不思議な偶然ながら(それとも、昭和天皇はその社員の
佇(たたず)まいに、何らかの“淀(よど)み”を
見抜いておられたのか)、その社員が泣き出したのは、
素直に納得できる気がする。【高森明勅公式サイト】
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